高崎商科大学附属高等学校では、建学の精神「自主・自立」のもと、生徒が目指す将来の進路実現に向けて、「グローバル社会で生きる力」を育む教育を大切にしている。三年前から一人一台のChromebookを導入するのに合わせて、DONGRIを一括採用した。自ら学びに向かう経験やクラスメイトとの協働学習を通した「情報力」の向上に取り組んでいる。 今回、国語科の神戸先生からDONGRIの活用について伺った。「言葉が世界をどのように分節しているかを知ることは、私たちのものの見方を磨くきっかけになる」という先生のお話には、授業で辞書を活用する際のヒントが溢れていた。
辞書の定義が、小説への想像を広げる
まず神戸先生が紹介してくれた辞書の活用場面は、芥川龍之介の『羅生門』を取り上げた授業だ。小説の冒頭には「羅生門」の状況が描かれているが、その中にはこんな一節がある。
神戸先生は、冒頭のこの部分を取り上げ、作者が「鴉(からす)」を登場させた効果を生徒に考えさせた。「鴉」の印象として、生徒からは「賢い鳥」「身近な鳥」という発言は出てきたが、先生がねらった発言は出てこなかったという。そこで神戸先生はDONGRI(明鏡国語辞典)で「からす」を調べさせた。
辞書中の定義を共有することで、「鴉」が羅生門の零落した雰囲気を彷彿とさせる存在であることを、生徒につかませることができた。また、神戸先生は辞書の表記にある「ハシブトガラス」「ハシボソガラス」の鳴き声を、その場でネット検索させたという。ハシブトガラスが甲高く鳴く一方、ハシボソガラスは野太くしわがれた声でひねり出すように鳴く。そうしたハシボソガラスの声のイメージをもってこそ、羅生門後半に描かれる老婆の次のような姿を、生徒は冒頭の鴉の不気味さと重ねて読むことができただろう。
上記のようなDONGRIの使い方は、辞書の定義を共有することで、生徒を物語の世界へぐっと引き込むことができる、効果的な活用法であると感じた。神戸先生は小説の読解における辞書の役割を次のように語った。
具体的な言葉の集積を通じて、日本語話者の「ものの見方」をつかませる
次に神戸先生が紹介してくれたのは、「言葉と文化」をテーマとした現代文の授業から発展させた言語活動での使用場面だ。現代文では、「私たちは連続した世界を言語により分節し、認識している」ことを学んだ。日本語話者である私たちのものの見方や物事の整理の仕方は「日本語による世界の切り分け方」に大きく影響を受けている。その上で神戸先生は、辞書で具体的な言葉を集める言語活動を設定し、日本古来のものの見方や日本語語彙のつくりへと学習を広げようと考えた。
そこで活用したのがDONGRIの「で終わることば」(後方一致)の検索方法だ。日本語には中心的な意味が言葉の「後部」にあり、「前部」の要素がそれを修飾して細分化する特徴がある。生徒は検索基準を「で終わることば」とすることで、辞書中にある似た意味をもつ言葉を簡単に検索することができる。
神戸先生は、まず古語辞書(新全訳古語辞典)で「月」と「星」を「で終わることば」で調べさせ、DONGRIの検索結果をグループでまとめさせた。結果は次の通りだ。
「で終わることば」の検索方法を使うことで、生徒は「昔の人々が『月』や『星』という語を『どのように切り分けていたのか』」を簡単に知ることができた。また、結果から考えられることを話し合うと、「昔の人たちは星よりも月の方がより身近だった。」「月を使った言葉の方が多いことから、昔の人は月に強い興味があり、その違いを表現しようとしたのではないか」と、伝統的なものの見方にも考えを広げることができたという。現代文で学んだ「言葉とものの見方」の関係が、時代を超えて共通していることに気づかせるとても素敵な指導だと感じた。
次に神戸先生は、複合語を「で終わることば」を用いて国語辞典(明鏡国語辞典)で調べさせた。次の画像は、後部要素が「畑」の複合語を調べたグループのスライドだ。
複合語を集めさせた後、神戸先生はそれぞれの意味を調べさせ、言葉の前部要素がどのような視点で後部要素を切り分けているかを、以下の様にグルーピングさせた。
分類の結果から、畑に対して「目的とする作物」への関心が強いのは当然だが、農家(当事者)にとっては「どのような場所のどのような状態の畑なのか」ということも重要な視点であることが分かる。こうした言葉集めと分類の活動を通じて、言葉の「後部要素」に対して人々がどのような関心やまなざしを向けていたのかを、生徒は読み取ることができた。「言葉と物の見方の緊密さ」や「日本語語彙のつくり」といった抽象的な事柄を、グループでの具体的な活動を通じて楽しく実感することができる指導だと感じた。次の生徒の学習感想からは、言葉や自身のものの見方に対する認識の深まりが見て取れる。
辞書はことばの世界を遊べるおもちゃ
今回のインタビューを通じて、個々の言葉の違いを知ることは、小説や日常的なものに向ける私たちのまなざしを磨く契機となることを、改めて実感した。神戸先生は、次のように話してくれた。
高校2年生からは、辞書よりも受験を意識した単語帳を使う生徒も多くなるという。しかし、だからこそ、高校1年生のうちに辞書の多様な使い方を教え、言葉に関する感性を高めてほしいと、神戸先生は願っている。
先日の古典の授業では、『「~かなり」「~げなり」の形容動詞にはどんな言葉があるのだろう』と問いかけると、生徒がすぐにDONGRIで検索する場面が見られたという。「~で終わることば」の検索結果は韻を踏む言葉が表示されるため、ダジャレやラップを作る生徒もいた。「辞書はことばの世界を遊べるおもちゃです」と話す神戸先生の笑顔に、辞書と言葉を使いこなしながら、自らの思考をぐんぐん深めていく生徒のたくましい姿が垣間見えた。